堂々巡りでのたうちまわる

どうも、奥村( mao_okumura_mws)です。
以前の記事で書き忘れてた話があって、ここしばらくいろいろ考えてたんですけど何かバンド全体だとかグループ全体だとかを追い掛けてるより個人を追い掛けてたほうが気が楽なのかなと思うことが最近無いでも無いです。
そうは言っても基本的には自分が好きになった人が一緒に演っている人なのだからきっと良い人なのだろうというスタンスでいるので視界に入れば音が聴こえれば段々と情が移ってしまうのが人間というものでして。
ただ最近ちょっとだけ躊躇してしまう自分が無くは無いと自覚しております。

何か多分僕はきっと醜態を曝されるのが嫌なんでしょうね。
美しく円満な終わり方は案外受け入れられるのに泥沼になって醜態を曝されると汚されたように感じてしまう。
あんなに素晴らしかったものがどうしてこんな醜態を曝したりするのか、どうして自ら泥を塗るような真似をするのか、僕には理解出来なかったり、分かるような気はするのだけど分かりたくなかったりして拒絶反応が出てしまう。
何か一気に醒めてしまって。
そうして大抵それらは僕の中では完全に終わってしまうのですが、まぁ相手も人間なわけで、その人にはその人の人生があって、稀に図らずも僕の人生と相手の人生が交差してしまう瞬間があって。
僕もまぁ大概頑固な面があってですね、そうなった時、大抵僕にとってその相手は唾棄すべき存在に成り果てているのでまぁ普通にイラッとするんですよね。

だからといっていちいちこいつが気に入らないだのあいつがムカつくだのそんなことを言って回るのは見苦しいというくらいの分別は付くので基本的には自分の胸の内に納めておくわけですけど、ここしばらくすごく考えてしまっているのはそもそも基本的にグループ全体だとかバンド全体だとかを引っ括めて好きになろうというスタンスでいるからそれが崩れた際に苦しくなるのではないか、最初から個人だけを追っていたほうがいざという時に気が楽なのではないかっていうね。
全体で見てしまうから板挟みになってしまうというか。
何かどことなく終わること前提の考え方なのであれなんですけど、僕ね、基本的にね、ネガティブな陰キャなの。
頑張ってポジティブでいようという気持ちもあるけど基本的にはすごくネガティブな人間なんです。
常に最悪の事態を考えておくタイプなので。

でもねー、意識して推し以外のメンバーを好きになるわけではなくてやっぱり気が付いたらメンバー全員好きになってしまっていたというのがお約束のパターンなのでね。
人間関係良好に見受けられる推しの姿を観るとホッとするし。
何より自分の好きになった人が自分さえ愛されれば他のメンバーのことなんかどうでもいいと思うような人間性なのだとしたらそれはやっぱり俺はどんだけ人を見る目がないんだよと思うし。

どんな人もその人それぞれの人生があって、どれだけの想いがあったとしても他人の人生を自分の思い通りにすることなんて出来るはずがなくて。
それは分かってはいるけど。
さすがにね、いろいろと応えましたかね。
向こうは向こうでその人なりの信念なり事情なりを抱えていろいろなことを決断したり実行したりしてるんだろうけど、此方にもですね、些末なものではありますがどうしても譲れないものというのはありまして。
まぁ、ぶっちゃけ譲る気ねぇし。
ただ無感情でいられないのが人間の哀しいところですね。
そこまで行けば楽になれるんだろうと思うのに。

ここまで書いておいて何ですが今回のネタは黄色さんのことではないです。
さすがに黄色さんに対してはね、まだここまでは行ってない。
複雑な想いがないと言えば嘘にはなりますが、別に醜態曝したってわけじゃないじゃん。
かなり昔から別件でいろいろありまして、忘れた頃にウロウロされるもんだからうざくてしょうがなくて。
まぁ、それ以外でも人間生きていればいろいろあるじゃないですか。
それらをいちいちあいつのことですよこいつのことですよと対象を特定して説明するのはさすがに私の精神が保たないのでとりま黄色さんのことではないですよということだけご了承頂けましたら幸いです。
何かグルグル考えてると、あー‼︎ もう感情なんかいらねー‼︎と思ってしまったりもしますが感情があるからこそ推しを愛でることも出来るわけで。
人の気持ちとは難しいものです。

では、今回はこの辺で。
バイバイ、またね。


ここまで書いて投稿待ちの状態で保存してました。
このままひとつの記事に纏めるか、ふたつに分けるかまだ決めていませんがとりま思うところあって書き進めます。
ふたつに分けたとしても公開は一緒になると思うし。

現在2020年05月03日の19:14です。
つい先程まで眞さんの生配信『Milky way online』の4部を視聴しておりました。
2部でほんとは昨日ライブをする予定だったという話を聞いた瞬間嫌な予感はしたのですが、ここから先はどれだけバレバレであっても徹底的に個人名は伏せていきますのでそのつもりでよろしくです。

え~、演りましたね、彼の人の曲を。
まさかアコギであの曲を演るとは思っていませんでしたが。
V系畑を通り抜けて来た人だから眞さんも影響を受けていても不思議ではないし、音楽に目覚めるのが早かった人だからリアルタイムで聴いていてもギリギリおかしくはない世代なんですよね。
考えてみれば恐らく彼の人の曲を他の人が歌うのを聴くのはこれが初めてだったと思うのですが、思っていたほどショックはなかったかな。
あの人の声を聴くより他の人の声で聴くほうがまだ大丈夫なのかな。
配信中だったからこのショックがそのまま眞さんに対する拒絶に繋がってしまったらどうしようと一瞬ヒヤッとしましたがそれは杞憂に終わったようで。
何なんですかね。
配信が終わって今思うと眞さんはあの人とは直接的な繋がりはなくてただリスナーとして聴いていただけの状態だからまだ自分が受けたショックは最小限で済んだのかなと思わないこともない。
これがもっとあの人に近かった人たちの演奏であったならちょっとどうかなという感じはします。

ものすごく誤解を恐れずにただ自分の感情だけを吐露すると、今現在のあのバンドは僕にとっては偽物です。
だから今現在のあの人たちを受け入れている人たちに対して、僕はずいぶん長いことずっと「あれは偽物なのに」とか「本当の姿を知らないから」とかいう思いを抱き続けていてものすごく複雑な思いを感じていました。
当の本人たちに対してはまぁ冒頭に書いた通りの気持ちなのですが、今現在のあの人たちに好意的な方々に対しては複雑な気持ちを抱えています。
前述した「あれは偽物なのに」とか「本当の姿を知らないから」とかそういった気持ちと、今日眞さんが歌う姿を見てはっきりと気づいた「羨ましい」という気持ちと。

「羨ましい」という言葉がピッタリとハマっているかどうか分からないけれど、あの人が生きて動いていた姿を、あの頃のあのバンドの姿を知らないからこそ今受け入れて聴き続けられるのかなと。
僕はそれが出来ないから。
どうしてもあの人は殺されたんだという思いを消し去ることが出来ないから。
残された人たちを恨んで憎んで、あの人が遺したものには背を向けて、そうやって僕は何とか己を保ちながら生きてきた。
残された者は生きていかなきゃいけないから。
生活とか人生とか投げ出せないじゃないですか。
そうやって20年以上生きて来て今更ね、許せないですよ、そう簡単には。
誰が悪いとかではないんだろうとは思うけど、それでも。

解散したままだったら彼らを憎むことはなかったんだと思います。
でも彼がいないのになぜ再結成した。
そんなものは偽物でしかない。
受け入れられない。
認められない。
そこまでの醜態を晒してなお揉めてるとか何なんだ。
たとえ誰であっても彼の場所を奪うのは許せない。
認められない。
そんなものを何事もなかったかのように受け入れるなんてことは出来ない。
だから僕はずっと逃げて逃げて逃げて。
その姿からもその音からもずっと逃げ続けて。
でもあの頃を知らずにいたのなら何も考えず受け入れることが出来たんだろうかと。


ここでまた時間が変わります。
先程『Milky way online』の5部が終わりました。
現在21:05です。
いや、まさかバンドのほうの曲も演るとはね・・・・・。
キー的にそちらは演らないだろうと思っていたので完全に油断しておりました。
心臓が変なふうに跳ねた。
時節柄というか彼の人たちの曲をリクエストしている方もいらっしゃいましたね。
当時をご存知の方なのか、そうではないのか。
どの曲を演るのかは眞さんの一存で決まるわけですからもちろん彼らの曲は演るな等と言うつもりはないです。
彼らの曲をリクエストするなとも言うつもりはないです。
そんなもん聴きたくないなら来るなって話なのは百も承知ですし、いくら私には年相応の落ち着きやら常識やらが欠けていたとしてもさすがにそこまでの無理難題を他人様に押し付けるのは見苦しいという分別くらいは付きますよ。
今後も眞さんの配信を聴くつもりでいるからには常に覚悟はしておかなければいけないことはよく分かりましたから。
多分本人たちの声で聴くよりはマシだろうし。

まぁここまでの流れでお察しの通り私は最愛の人を亡くすという経験をしてきたわけですが、それからやっぱり基本的には生きていてくれさえすればいいと思うようになりました。
やっぱり人間なので多少の要望や願望やはたまた妄想といったものは無きにしもあらずではありますが、究極を言えばやっぱり生きていてくれればそれでいいし、こういった曲を演ってほしいとかどこそこでライブを演ってほしいとかいう願いよりも、健康で一日でも長く幸せに生きてほしいという願いのほうが優先されるわけで。
本当に誤解を恐れず心の底からの思いを言うのであれば、愛する人が生きて、それ以上を望むのは贅沢だと思う気持ちが無いでは無いです。
ましてやファンとアーティストという関係性に於いて相手のプライバシーに関わることまで望んだりアーティストとしての活動そのものに支障を来たすような要求をぶつけるのは何か勘違いしてるんじゃないのかと思ったりはします。
まぁファンとアーティストという関係性の中で疑似恋愛を楽しむという形も無くは無いというのは理解出来ますけど、あくまでも疑似恋愛という範囲内に於いての話ですからね。
そこから逸脱するのは最早ファンとは呼べないのではないかと思います。

同時に今現在の私の彼の人たちに対する恨みとか憎しみとかいう感情も逸脱しているものなのではないかという恐怖もあります。
それを本人たちにぶつけてはいけないと最後の自制心を持って今までこういうブログであったりTwitterであったりという場でしか話したことはありませんが、どれだけ憎んでいようともこれを本人たちに直接ぶつけたら単なる犯罪者だという認識はあります。
ファンとアーティストというのは他人ですからね。
こちらはいろいろな媒体で相手をある程度認識していてそれなりの思い入れを抱いていたとしても、アーティストからしてみたら『ファンだと名乗って目の前に現れた見知らぬ他人』ですから。
その感覚を忘れるとファンではなく単なるヤバい人になりますからね。
そういう観点から見れば僕のこういった感情というのは逸脱したヤバいものなのだとは思いますが、もう今更全て水に流して許せるか・忘れられるかと訊かれたら、忘れられるはずもないし許せるはずもない。
ある意味、この感情全てもひっくるめての自分なのだから。
いろいろと口に出せない苦々しい想いも代償として背負い続けて生きていくしかない。

忘れられたら許せるのなら楽になれるのかなと思わないでもないです。
特に今日眞さんが彼の人の曲を歌う姿を見てそう思った。
忘れてしまえば許してしまえばこんなにも複雑な思いをしなくてもすむのかと。
ただ純粋に配信を楽しめたのかと。
そんなことは今までに何回も思ってきた。
そしてやっぱり最後の最後で忘れられなくて許せなくて。
でも日常の中では心の中のすごく奥深くに押し込んで表面に出さないようにして生きている。
きっとこれからもそうして生きていく。
あまりにも長く抱き続けてきた想いは捨ててしまったらもう僕ではなくなってしまうのです。
たとえこれはもう愛情ではなく単なる執着なのだとしても、そんなことは誰が何の権利を持って決めるんだ。

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